小谷野敦がJR東日本を面白く訴えたらしい

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070324
これはかなり面白いな。
この訴状のヘンテコぶりははてなブックマークやほかの人が書いたダイアリーで読むことができて、おおよそ同じ論旨で「この人なに言ってるの」という感じなんだけど、いやまさに同感。
基本は、この人が「自分の立場の主張ばかりをしてタバコを吸わない人の気持ちを理解しようという気持ちが微塵もない」ことと「本当は自分が周りの話を聞こうとしていないだけなのに、周りが自分のことを理解してくれないと嘆く幼稚な態度」に失笑、という感じだ。あと「自分を過大評価しまくってるっぷり」もかねえ。
自分も喫煙者だけど、新幹線の喫煙車は本当に酷い。全面禁煙はいい判断だと思う。隣の禁煙車に乗ってても、人の行き来の際に煙が漂ってきてすごく臭いんだよなあ。タバコに関しては、非常に他人に迷惑をかける趣味なので、非喫煙者を基本としてルールを決めてくれていいと思う。自分はタバコは、自分の吸っているタバコは臭くないけど、ほかの人が吸っているタバコの煙は臭いと思っている。これはすごくわがままなことだと思っているけど、本当だから仕方がなくて、だからこそ、自分のタバコの煙もほかの人の迷惑になることを自覚している。で、いつもかなり遠慮している。それでいいと思うんだ。
さてこの小谷野敦という人は、先日たまたま花くまゆうさくの絵につられて「すばらしき愚民社会」という本を買ったら、これがまたすばらしくて涙したところだったので、気になっていた。そもそも「愚民」なんて言葉を使っている時点で、「本当に説得力のあるすごい人」か「ただエラそうな人」かどっちかで、それまで小谷野敦という人を知らなかった自分は「本当に説得力のあるすごい人」だったらいいな、と思って購入したところ、「ただエラそうな人」の典型みたいな感じでがっかり、という感じだった。とりあえずこの訴状に関して、「請求の原因 1、原告は、東京大学総合文化研究科比較文学比較文化専攻博士課程修了、学術博士であり、これまで二十冊以上の著書を出し研究・言論活動を行っている。」というのが、ぜんぜん原因じゃないのが面白すぎる。「はいはい偉いねー」といってほしかったんだろうか。
そんでこの本を読んだ際に、知人に「えらそうに物事をばっさり切る人っていろいろいるよね」という話をしてて、その言動に関して、山形浩生は不快じゃないんだけど、小谷野敦はかなり不快で、二人ともおんなじくらいの年齢で同じように偉そうな感じなのに、この違いは何だろう、という話をしたら「そこがノム総と東大非常勤の差じゃね?」といわれてなんか納得した。
もう一度読み直したら、ここも面白かった。

 本当は19日提出の予定だったが、今日東京簡易裁判所へ提出してきた。裁判長の判断次第で地裁へ移されるかもしれない。本当は千人が同じ提訴をしてくれればJRをパニックに陥れられるのだが。マスコミは決して報道しないだろう。こういう声があることすら隠蔽するファシズム

だって。ファシズムじゃなくても普通にスルーするでしょ!

累進課税の理由はなんだ

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/o/58/index.html
年収300万円時代がどうとかいって有名な森永卓郎さんが書いた記事が話題になっているらしい。これによれば、日本の税制は低所得者に優しい制度だと思われてるけど、税金とも言える年金や健康保険料とかも考えると、低所得者のほうが税率が高くなるのだそうだ。
まあ、そうかもしれないけれど、そもそも良くわからないのは、なぜ低所得者より高所得者が税率が高いのか、というその理由。もし同じ税率であっても、収入が多ければ払う税金は高くなるんだから、それでいいんじゃないのか。自分も貧乏というか、たいした収入も無いから、どっちかといえば「金持ちはもっとかね払って俺たちを楽にしろよ」派に入るべきなのだろうが、そうはいってもなんだかそういう貧乏人の論理みたいなものに、不快感に近いものも感じる。
金を持っている人は、がんばったから、金持ちなのじゃないだろうかね。森本さんの話では株でぼろもうけしやがって、汗水たらして働いている俺らよりも税金多く払って当然だろ、という話が出ているけど、これは「頭脳労働よりも肉体労働のほうが働いてる感が強いしえらい」という価値観なのか?
金を稼ぐ方法にはいくつかあって、最もばっさり分けると「頭を使う方法」と「体を使う方法」がある。で、「体を使う方法」のほうが圧倒的にわかりやすい。「頭を使う方法」のすごさ、というかその大変さはある程度の頭を持っていないと理解できないという欠点がある。しかも頭を使う方法のほうが実は儲かる。
たとえばはてな内で言えば、こんな質問があって、以下のような答えがあった。
http://q.hatena.ne.jp/1148973626

コンピュータの知識はあるが、逆に言えばコンピュータ系(コンピュータやゲームなど)の知識しかないところ。それなのに、何を勘違いしてか、コンピュータができる=仕事ができると勘違いしているのはやめたほうがいいと思う。コンピュータができるのはそんなに大したことではない。100Mを10秒で走れる方がはるかにすごい。ビルゲイツよりもイチローの方がすごい。だって、これから先、何年も努力すればビルゲイツにはなれるかもしれないが、イチローには絶対になれない。
IT 関係の業界にいると、こういう人は結構多くて、体育会系の私からしてみれば、一緒に飲みに行こうとは思えない、人間的につまらない。コンピュータ以外で趣味をもった方がいいし、恋愛もたくさんした方がよい。こいつにはこの先どんなに努力していても勝てないな、と思う奴に出会ったことがない。逆に、全然違う業界にいて、コンピュータをやっている人の方がはるかに怖い。

これは、本人も体育会系といっているけど、「頭を使った仕事」が理解できていない典型的な例だと思う。
共産主義社会主義も、理想は立派な雰囲気もあるけど、これまで革命によってそれを実践した国を見ると、頭のいい扇動者が「頭を使った仕事」を理解できない人たちを扇動して「あいつらは不当に稼いでいる」といって国を転覆させるわけだけど、結局そういう人たちは頭がよろしくないので、扇動者の食い物になっちゃったりして、みたいなところがあると思う。
話がそれたが、結局「なぜ高額所得者は税率が高くないといけないのか」の理由がわからないままだ。貧乏人のやっかみ、以外に。さっぱりわからない。貧乏な人にも種類があって、本当に働けなくて困っている人、ワーキングプアな人、働く気のない人がいて、全員まとめて優遇する必要は無いんじゃないだろうか。働く気のない人間は、勤労の義務を果たしてないんだから、助ける必要なんてないじゃないか。
助けるなら「働く気のない人間」をふるい落とせるような別の方法でやったらいい。

テレビゲームのせいにしたい人がまたいろいろ言い出したらしい

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200611140074.html
またかよ、という感じなんだけど、相変わらず説得力のないニュースというか、本当の調査結果自体を見てないからなんともいえないけど、これはなんだ。

また、1日のテレビ視聴が1時間以内の子に比べ、4時間以上の子がいじめをした経験は、高校男子で1.2倍、同女子で1.4倍多かった。ゲームの時間や携帯電話のメール交換頻度でも同じ傾向が出た。

統計はそんなに得意じゃないけど、そして1.2倍、1.4倍が有意な差であるかどうかはよくわからんけど、この調査結果はテレビを見たからそうなった、ゲームをしないからそうなったという結果にはならないんじゃねーの。むしろいじめをしない原因が、ゲームをしない原因、テレビを見ない原因と近いところにある、ということなんじゃないのかね。
例えばこれだけテレビがどこにでもある現在日本においてテレビをあまり見ないということは、自らテレビをあまり見ないという選択肢を選んでいるわけで、それはなにかほかの趣味に打ち込んでいるとか、そういうことかもしれなくて、そういう方向に目が言っているのであれば、いじめなんてしてる暇無いのかもしれないとかね。
まあ、テレビやゲームをするかしないか、ということは「こいつはいじめをするかどうか」を測るためのリトマス試験紙にはある程度なるんだろうけど(1.4倍じゃその信頼性も疑問だけどなあ)、すでにゲームを4時間以上やっているやつに無理やりゲームを止めさせても、いじめをしなくなるわけじゃねーだろ。
そもそも1日のテレビ視聴が1時間以内の子ってどれだけいるんだよ。比率を書けよ。
この木原雅子助教授という人は50歳くらいみたいだから、彼女が子供のときはゲームは無かったわけだ。自分の理解の範囲外(例えばゲームなど)にあるものを悪役にするのは、頭の悪い人のすることじゃねーのか。同世代の人の共感は得られるかもしれないし、スケープゴートを作ることは浅はかな人を安心させはするだろうけどね。

議論しちゃだめっていうのは意味不明だ

麻生太郎中川昭一両氏が核武装の議論について触れたことで、民主党とかが噛み付いてる。冒涜なんだってさ。
なんで?
議論することが冒涜だってことは、思考停止して、現状を受け入れろってことだ。
民主党は、最近は自民党の言うことにはとりあえず反対することをアイデンティティとしてるっぽいから、そういう戦略の上でいっているだけなら別にいいんだけど、それにしても「議論すること」がだめというのは本当にひどい。現状がすばらしいなら、いろいろな角度からいろいろな可能性を議論して、その結果現状が一番いい、という結論に達すればいいんじゃないのかね。「今が一番いい」ということを証明する持ち駒はたくさん持っているはずでしょう。
それと同じで、憲法9条の話も、社民党とかが改正反対とか、守ろうとか言っているけど、議論をすることすら、脊髄反射的に反対しているのが、本当に不気味というか、言論統制の雰囲気を感じるというか、既得権益を守ろうとするブルジョアジー的発想ですね。
何できちんと議論をして、その上で憲法に平和のための項目を盛り込む、という方向にいけないんだろうか。ああいうことをいう連中は、本当に信頼できない。

いじめは無くならんと思う

最近、いじめで自殺をした、というニュースが増えている。安易に死を選ぶのはどうか、という意見はそうだな、と思う。一方で、いじめられた経験は一生トラウマになって人間関係をうまく築けなくなるから、死を選ぶという選択肢もあり、という考え方も、一理あるとは思う。でも、それは弱すぎる。というか、もっと頭を使ったほうがいい。学校ではそういう賢さを教えるべきだ。
いじめっていろいろなパターンがあって、本来ならいじめられるようなやつではないけれど、ふとしたきっかけや、ちょっとした不注意な言動から、いじめられてしまうパターンもあるし、いじめられるやつが本当にいやなやつで、明らかにいじめられるやつにも原因があるだろう、的なものもある。日本人は異質なものに対して拒否反応があるから、変わったやつはいじめられやすい、というのもそうかもしれない。とにかくいじめはいろいろなパターンで起こる。
それそれとして、いじめをなくす、というのは無理なことなんじゃないの。人間には根源的に差別をする機能が備わっているんでしょ。みんな仲良く、なんて絵に描いた餅。だから、いじめをなくす、というような方法はあまり効果的じゃなくて、必要なのはいじめられるくらいじゃびくともしない強靭な心を育てることとか、いじめられたときに、その状況を以下に脱出するかという賢さを身につけさせることだと思う。
学校を卒業したって、いじめなんてそこらじゅうに存在している。むしろ大人のいじめのほうがよっぽど陰湿でずるがしこくて、汚い。むしろ学生時代にいじめの存在する環境の中で、いじめられることへの対処法を身につけていくことのほうが、絶対将来役に立つ。

電車の中で

会社からの帰り道、電車で席に座ってたら、いきなり前のおばちゃんに話しかけられた。
「あそこに目の見えない人がいるから、席を譲ってくれませんか?」
自分の座っているところからは見えなかったけど、たしかに盲導犬を連れた人がいた。そのとき座っていたのはシルバーシートだったけど、僕はシルバーシートだろうと無かろうと、席を譲るべき人には譲るべきだし、譲るべきでない人には譲るべきではないと思っているので、その人をみて譲るべきか考えて、混んでいたし犬いるし譲ったほうがよかろうと思って譲ることにした。
それはいいんだけど、そのおばちゃんは、どうもその目の見えない人とは関係のない人なんだろうけど、譲り際、僕に向かって「ありがとう」とお礼を言った。
お前にお礼を言われる筋合いは無いぞ、と思った。
同じ違和感は、以前インドネシア地震のときに募金活動をしていたおばちゃんが募金をしてくれ、と近づいてきたときに、僕はチャリティライブなんかに参加していたし、こういった個人の募金活動は信頼していないので、「別の形で協力してますから」と断った。そしたらそのおばちゃんが「ありがとうございます」といった。そのときも、お前にお礼を言われる筋合いはないと思った。
僕は、助けが必要と思われる人のためにやっているわけで、お礼を言われることで、無関係なその人にまで何かしてあげたわけではないんだよ。
そういう人たちは、お礼を言うことで、自分もいいことしているんだ、と再確認しているようで非常にキモい。偽善者っぷりが鼻につく。まあ、そもそも全ての善は自己満足のための偽善だと思っているから偽善者であることはいいんだけれど、そこまでそれを露出されるのはすごくいやな気がした。
別に席を譲ること自体はいやじゃなかったんだけど、「ありがとう」を言われたことで、席を譲ったことを心から後悔した。